中田島砂丘の民有地(共同所有)の代表の方を訪ねました。
また少し前に進んでいくことができそうな予感です。
本題とは別の話がとても面白かった。
現在、中田島砂丘の民有地にある「海の森」(勝手に私が名付けていますが)は、以前は所有している中田島町の人たちが、毎月ごかきをして、それはもうきれいな松林だったらしい。
しかし、ある日突然、保安林として「立ち入り禁止」の看板がたったらしい。それで入ることができなくなった森は、荒れてきて見る見る松が弱っていったらしい。そこへ松食い虫がやってきて、絶望的な姿になっていったという。
そもそも、保安林として県がきれいに管理してくれると思っていた住民は「しょうがないな」と県に委ねたのだが、県は何もしなかった。その結果が上記の話である。中田島町の人たちは残念がったが、どうしようもなかった。だって「立ち入り禁止」の看板があったから。
元々は地元の人に愛されていたんですね。
少しだけ提案させていただいたら、「そこがきれいでみんなに愛される場所になるなら」と言っていただいた。
その言葉は、これからのモチベーションです。いつか、みなさんを招待したいですね。
「きれいになるなら、きっとここの人たちは手伝ってくれるよ」だって。
ありがとうございます。我々も中田島砂丘のみなさんの土地を次の世代へ渡せるように頑張ります。
おっと、いつも間にか本題の話に近い。ですが、気持ちを忘れないようにメモとして残しておきます。
さて、「山とつながっている」という話ですが、私が「山にも行っていろんなことをしてるんですよ」とお伝えしたところ、「●●●●って知ってるか?」とお名前を言ってきた。
なんとヤマタケさんの話。聞けば、この代表の方の家の出でだそう。びっくり!
山守が36人いた話など、山の話をいろいろお聞きすることになりました。
さらにびっくりなのは、この代表の方は元ホンダの技術者で、本田技研工業の社員だったのだ。
この中にいるかも (https://www.honda.co.jp/guide/history-digest/)。
が書いた図面を生産用に落としていくのが主な仕事だったらしい。2輪のドリームから始まり、4輪N360からアコードまで関わったそう。そりゃもう伝説でしょう。
「オヤジはどんな人でしたか?」「スパナ飛んできましたか?」
「僕ら下の社員には優しかった。そのかわり管理職、上司連中には厳しかった。スパナも飛んでたよ。」
「お前らのせいで、下の連中がちゃんと働けないじゃないか?とよく言っていたね。」
ですって、なんか急に本田宗一郎が身近に感じました。そして、やっぱりホンダは浜松の会社なんだなぁと。
また、代表のところへは報告がてら、話を聞きに行こう。
今日の投稿はメモのようなもの。今日の話の具体的なことは今後ご報告します。
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